こんにちは。ヤバりみ!編集部です。
前回は、「量子インターネット」について取り上げました。
現在のインターネットとは異なり、量子状態や量子もつれをネットワーク資源として扱い、遠く離れた量子コンピュータや量子センサーを接続する。
そんな未来が、少しずつ研究室の外へ出始めています。
しかし、その仕組みを調べていると、必ずと言っていいほど奇妙な言葉に出会います。
量子テレポーテーション。
「テレポーテーション」と聞けば、多くの人が想像するものは同じでしょう。
東京にいる人間が光に包まれる。
身体が消える。
次の瞬間、ニューヨークに現れる。
SF映画ではおなじみの「瞬間移動」です。
では、科学者が真面目な論文の中で使っている「quantum teleportation」とは、本当にそれなのでしょうか。
結論から言います。
違います。
2026年現在、人間も、猫も、リンゴも、原子そのものさえ、SF映画のような方法で量子テレポーテーションされているわけではありません。
では、何をテレポートしているのでしょう。
答えは、
量子状態です。
しかも不思議なのは、量子状態を単純に読み取って、そのデータを相手へ送って再現するわけでもないことです。
そこには、
量子もつれ
という、古典物理には存在しない資源が使われます。
そして2026年現在、この技術はもはや理論上の思考実験だけではありません。
既存の光ファイバー。
量子コンピュータ。
衛星。
量子ネットワーク。
さまざまな場所で実験されています。
今回は「人間は瞬間移動できるのか?」という素朴な疑問から出発して、その奥に存在する量子情報科学の世界まで潜ってみましょう。
第1章 テレポートしているのは「物体」ではない
最初に、最も重要なところを整理します。
量子テレポーテーションで、
物質そのものがA地点からB地点へ移動するわけではありません。
例えば、量子ビットAがある状態
|ψ⟩
にあるとします。
この量子状態を、離れた場所に存在する量子ビットBへ移したい。
しかし問題があります。
普通の情報なら、
「状態を測定する」
↓
「数値を読み取る」
↓
「相手へ送信する」
↓
「同じ状態を作る」
とすればよさそうです。
ところが量子状態では、それが簡単にはできません。
未知の量子状態を測定すると、その状態そのものに影響を与えます。
さらに、未知の量子状態を完全にコピーすることもできません。
これは前回の記事にも登場した、
量子複製不可能定理(No-Cloning Theorem)
です。
そこで登場するのが量子テレポーテーションです。
第2章 AliceとBob――量子世界で最も有名な二人
量子情報科学の論文には、妙に頻繁に登場する二人がいます。
Alice(アリス)
と
Bob(ボブ)
です。
もちろん実在の特定人物ではありません。
通信の説明を分かりやすくするための架空の登場人物です。
Aliceが、未知の量子状態を持っているとします。
Bobは遠く離れています。
二人はあらかじめ、
量子もつれ状態にある粒子のペア
を一つずつ持っています。
ここが最初のポイントです。
何も準備せず突然テレポーテーションできるわけではありません。
AliceとBobの間には、あらかじめ量子的な資源が共有されている必要があります。
Aliceは、
「送りたい量子状態」
と
「自分が持っているもつれ粒子」
に対して共同測定――典型的にはBell測定――を行います。
するとAlice側の元の量子状態は、そのまま残りません。
測定結果が得られます。
その結果をAliceはBobへ送ります。
ただし、ここで使うのは普通の古典通信です。
電話でも、光ファイバーでも、原理的には構いません。
BobはAliceから受け取った古典情報に応じて、自分の量子ビットへ適切な操作を加えます。
すると、
Aliceが最初に持っていた量子状態が、Bob側で再構成されます。
これが量子テレポーテーションです。
第3章 では「コピー」ではないのか?

ここで非常に面白いことが起こっています。
Alice側にあった状態と同じ状態がBob側に現れるなら、
「コピーしただけでは?」
と思うかもしれません。
しかし違います。
Aliceが持っていた元の未知量子状態は、Bell測定によってそのまま残りません。
最終的にBob側に状態が再構成されます。
つまり、
Aにも同じ状態が残り、Bにも同じものができる
のではありません。
元の状態はAlice側から失われ、
Bob側へ状態が移ります。
だから「teleportation」という名前が使われています。
量子複製不可能定理にも反していません。
これは量子情報科学の非常に美しい部分です。
「コピーできない情報を、コピーせずに別の場所へ移す。」
一見矛盾しているようですが、量子もつれと古典通信を組み合わせることで可能になります。
第4章 最大の誤解――光より速く通信できるのか
ここで、おそらく最も有名な誤解に入ります。
量子もつれについて、
「片方を測定すると、遠く離れたもう片方にも瞬時に影響する」
という説明を聞いたことがある人もいるでしょう。
ならば、
火星へ瞬時にメッセージを送れるのでは?
残念ながら、できません。
量子テレポーテーションを完成させるには、Aliceの測定結果をBobへ伝える必要があります。
この情報は古典通信で送らなければなりません。
そして古典情報は、光速を超えて伝達できません。
したがって、
量子テレポーテーション ≠ 超光速通信
です。
火星にいるBobへ量子状態をテレポートする仕組みを将来作れたとしても、AliceからBobへ必要な古典情報が到着するまでの時間は消えません。
つまり、
「量子もつれがあるから、通信遅延がゼロになる」
という理解は間違いです。
ここは未来技術を語る際に、かなり重要な線引きです。
第5章 1993年――すべては一本の論文から始まった
量子テレポーテーションは、SF作家が考えた言葉を物理学者が借りただけではありません。
現代的な量子テレポーテーション・プロトコルは1993年、Charles Bennettらによって理論的に提示されました。
タイトルは、
“Teleporting an Unknown Quantum State via Dual Classical and Einstein-Podolsky-Rosen Channels”
でした。
ここで非常に重要なのが、
「Unknown Quantum State」
という部分です。
送り手自身が完全な古典情報として知らない量子状態であっても、エンタングルメントと古典通信を利用して別の場所へ転送できる。
この理論は、その後の量子情報科学に巨大な影響を与えました。
そして数年後、実験による量子テレポーテーションが報告されます。
理論上の奇妙なアイデアだったものが、実験物理学へ入っていったのです。
第6章 地球から宇宙へ――1400km級の量子テレポーテーション
距離を伸ばす研究も進みました。
大きな転機の一つが衛星です。
中国の研究チームは2017年、地上から低軌道衛星「墨子(Micius)」へ、独立した単一光子量子ビットの量子テレポーテーションを実証しました。
地上―衛星間の距離は最大約1400km。
6種類の入力状態について、平均fidelity 0.80±0.01が報告されています。
なぜ宇宙なのでしょう。
地上の光ファイバーでは距離が伸びるほど光子損失が大きくなります。
一方、衛星通信では伝搬経路の大部分が宇宙空間です。
もちろん大気、ビーム拡散、追尾精度など別の問題はあります。
それでも、地球規模の量子ネットワークを考えたとき、
宇宙が量子通信の幹線道路になる可能性
があります。
2025~2026年にも、衛星を利用した世界規模の量子ネットワークについて研究が続いています。
第7章 2024年――「普通のインターネット回線」で量子テレポーテーション
そして、量子テレポーテーションの未来を考える上で非常に現実的な成果が出ました。
Northwestern Universityなどの研究チームは、通常の通信データが流れている光ファイバー上で量子テレポーテーションを共存させる実験を報告しました。
実験では30.2kmの光ファイバーに、400Gbpsの通常通信トラフィックを流しながら量子状態転送を行っています。
これが重要なのは、
「世界中の光ファイバーを量子専用に敷き直さなければならない」
という未来とは違う可能性を示したことです。
現在インターネットに使われている通信インフラの一部へ、量子通信を共存させられる可能性がある。
もしこれが大規模化できれば、量子インターネット導入の経済性は大きく変わります。
未来の通信ケーブルでは、
古典データと量子情報が、
同じ物理インフラの中を異なる方法で流れる
時代が来るかもしれません。

第8章 2025年――「状態」ではなく、量子ゲートまでテレポートした
さらに面白い進展があります。
2025年、Oxford大学の研究チームは、光ネットワークで接続された二つの独立したトラップドイオン量子プロセッサを使って分散量子計算を実証しました。
ここで行われたのは単純な量子状態テレポーテーションだけではありません。
研究チームは、
quantum gate teleportation
を利用しました。
遠隔エンタングルメントを利用して、別々の量子プロセッサ上の回路量子ビット間にCZゲートをテレポートし、86%のfidelityを達成しています。
さらにGrover探索アルゴリズムを分散実行し、71%の成功率を報告しました。
ここで量子テレポーテーションの意味が大きく変わります。
「量子状態を遠くへ送る技術」
だけではない。
離れた量子コンピュータ同士を、一つの計算機として動かすための技術
にもなり得るのです。
これは前回の「量子インターネット」と完全につながっています。

第9章 2026年――「直接送るよりテレポーテーションした方がいい」領域へ
そして2026年6月、Nature Physicsに興味深い研究成果が掲載されました。
研究テーマは、
量子テレポーテーションと、単一光子をそのまま直接送る方法の比較
です。
直感的には、
「わざわざエンタングルメントを準備してテレポーテーションするより、光子を直接送った方が簡単では?」
と思います。
これは非常にもっともな疑問です。
ところが損失のある通信路では、条件によって事情が変わります。
2026年の研究では、損失チャネルにおいて、単一光子を直接送る方法に対して量子テレポーテーションが無条件の優位性を示す実験結果が報告されました。
これは「量子テレポーテーションが何にでも直接通信より優れている」という意味ではありません。
しかし重要なのは、
量子テレポーテーションが単なる量子力学の奇妙さを見せる実験から、
現実の量子ネットワークで、直接伝送と性能を競う通信プロトコル
へ移りつつあることです。
1993年には理論でした。
1997年には初期実験。
2017年には宇宙。
2024年には通常通信との共存。
2025年には分散量子計算。
2026年には直接伝送に対する実用的優位性の研究。
30年以上かけて、「テレポーテーション」という言葉の意味そのものが変化してきています。
第10章 AIが量子テレポーテーションを設計する時代も始まっている
さらに2026年5月、Physical Review Aには少し違った研究も掲載されました。
機械学習を使って量子テレポーテーションの最適なユニタリ操作を構成する一般アルゴリズム
です。
ここで、これまでのシリーズが再び交差します。
第4回で扱った、
量子AI。
そして今回の、
量子テレポーテーション。
AIが量子技術を利用するだけではありません。
逆方向もあります。
AI・機械学習が、
量子実験、
量子制御、
量子回路、
量子通信プロトコル
を設計・最適化する。
つまり未来には、
AI → 量子技術を改善する
量子技術 → AIの計算を支える
という循環が生まれる可能性があります。
第11章 では、人間をテレポートできるのか
ここまで来たところで、最初の質問へ戻りましょう。
人間を量子テレポーテーションできるのでしょうか。
2026年現在、答えは明確です。
できません。
しかも、「量子ビットをもっと増やせば、そのうちできる」と単純に言える話でもありません。
人間は約10²⁸個規模の原子から構成されています。
しかし問題は原子数だけではありません。
身体を構成する膨大な自由度の量子状態を、必要な精度で扱わなければならない。
周囲の環境との相互作用もあります。
熱があります。
分子運動があります。
デコヒーレンスがあります。
そして量子テレポーテーションでは、そもそも「物質そのもの」を送っているわけではありません。
仮に、遠い未来に人間を完全に記述できる情報を別の場所で再構成する技術が生まれたとしても、
そこにはさらに恐ろしい哲学的問題があります。
到着した人間は、本当に「あなた」なのでしょうか。
元の身体が消え、
別の場所で完全に同じ身体と脳状態が再構成されたとします。
記憶も同じ。
性格も同じ。
本人は、
「私は移動した」
と言うでしょう。
しかし出発地点にいたあなたの主観は、本当にそこへ移ったのでしょうか。
それとも、
自分と完全に同じ記憶を持つ別の存在が誕生しただけなのでしょうか。
これは現在の量子テレポーテーション実験が答えてくれる問題ではありません。
物理学から、意識・哲学へ問題が飛び出します。
そして私は、ここが「ヤバりみ!未来展望」で扱う価値のある部分だと思います。
第12章 ヤバりみ!未来展望――「移動」という概念そのものが変わるかもしれない
ここからは、確認された研究事実ではなく編集部の未来考察です。
人類は長い間、
「移動」
とは物体が空間を通過することだと考えてきました。
東京から大阪へ行く。
身体そのものが約400km移動します。
情報通信は違います。
声そのものが東京から大阪へ移動しているわけではありません。
情報を信号へ変換し、相手側で再現しています。
量子テレポーテーションは、その中間に存在するような奇妙な技術です。
物体は移動しない。
しかし単なる古典的なコピーでもない。
未知の量子状態が、エンタングルメントと古典通信を使って別の量子系へ転送される。
つまり量子力学は、
「物を運ぶ」と「情報を運ぶ」の境界
を、私たちが思っていたより曖昧なものにします。
未来の量子ネットワークでは、量子コンピュータそのものを移動させる必要はありません。
量子状態を送る。
量子ゲートを遠隔実行する。
量子センサーを接続する。
計算資源を共有する。
すると、
「どこにコンピュータがあるのか」
という問いさえ、少しずつ意味を失っていくかもしれません。
世界中に散らばった量子プロセッサがネットワークで結ばれ、
地球そのものが一台の巨大な量子計算機のように振る舞う。
それこそが、量子テレポーテーションが本当に変える未来なのかもしれません。
人間が光に包まれて消える未来より、
こちらの方がはるかに現実に近く、
そして社会への影響は、もしかするとSFの瞬間移動以上に大きいのです。
編集部アカリの考察
今回調べていて、私は「テレポーテーション」という名前が、この技術を少し損させているようにも感じました。
どうしても人間の瞬間移動を想像してしまうからです。
でも、本当にすごいところはそこではありません。
コピーできない量子情報を、コピーせずに別の量子系へ移せる。
しかも、その原理が30年以上かけて、
理論、
研究室、
光ファイバー、
宇宙、
既存通信網、
そして分散量子コンピュータへ進んできました。
2026年の私たちは、「人間をテレポートする時代」にはいません。
しかし、
量子情報をテレポートする時代には、すでに入っています。
そして、その違いを正確に理解することこそ、未来を必要以上に夢物語にせず、逆に過小評価もしないために必要なのだと思います。
次回予告
量子テレポーテーションによって、離れた場所へ「量子状態」を転送できる。
では、その技術がさらに発展し、世界中の量子コンピュータや量子ネットワークがつながる時代になったとき、私たちの情報は本当に安全なのでしょうか。
実は、量子技術には二つの顔があります。
これまで不可能だった計算や通信を実現する可能性がある一方で、強力な量子コンピュータが実現すれば、現在インターネットを支えている暗号技術の一部が脅かされる可能性も指摘されています。
しかし、そこで新たな疑問が生まれます。
量子コンピュータが暗号を破るなら、量子技術を使って暗号を守ることもできるのではないか。
次回の「ヤバりみ!未来展望」では、この矛盾しているように見える世界へ入ります。
【ヤバりみ!未来展望 第8回】
量子暗号とは? 量子コンピュータ時代に「秘密」は守れるのか
量子鍵配送(QKD)とは何なのか。
なぜ盗聴を検知できると言われるのか。
「量子暗号なら絶対に破られない」という説明は本当に正しいのか。
そして、よく一緒に語られる**耐量子計算機暗号(PQC)**とは何が違うのか。
さらに、現在使われているRSAや楕円曲線暗号、Shorのアルゴリズム、「Harvest Now, Decrypt Later(今盗んで、将来解読する)」という現実的なリスク、日本・米国・欧州・中国で進む移行まで追っていきます。
量子技術は、私たちの秘密を破る側になるのか。
それとも、守る側になるのか。
次回は、「量子時代のセキュリティ」の最前線を見ていきます。
この記事はこんな方におすすめです
- 量子テレポーテーションとは何なのか、正確に理解したい方
- 「量子テレポーテーション=人間の瞬間移動」だと思っていた方
- 量子もつれ、量子情報、量子通信の関係を知りたい方
- なぜ量子テレポーテーションで光より速く通信できないのか知りたい方
- 量子インターネットや分散量子コンピュータの未来に興味がある方
- 実験室、光ファイバー、衛星へと進んできた量子テレポーテーション研究の歴史を追いたい方
- 「人間をテレポートできるのか」という問いを、SFではなく物理学から考えてみたい方
- 難しい専門論文へ進む前に、背景からじっくり理解したい方
コメント募集
量子テレポーテーションについて、皆さんはどのような未来を想像しますか。
「量子状態を転送できるなら、将来どこまで大きなものを扱える?」
「どうして量子もつれを使っても光より速く通信できないの?」
「世界中の量子コンピュータをテレポーテーション技術で接続したら何が起こる?」
そして究極の問いとして、
「もし遠い未来に、自分と完全に同じ身体・記憶・意識状態が別の場所に再構成されたら、それは本当に“自分”なのか?」
皆さんの考えや疑問があれば、ぜひコメント欄で教えてください。
寄せられた疑問や視点も、今後の「ヤバりみ!未来展望シリーズ」で取り上げていきたいと思います。
免責事項
本記事は2026年時点で公表されている査読論文、大学・研究機関等の発表、および公開情報をもとに執筆しています。
本記事でいう「量子テレポーテーション」は、SF作品などで描かれる人間や物体そのものの瞬間移動を意味するものではありません。
現在実証されている量子テレポーテーションは、量子もつれと古典通信などを利用して、量子状態を離れた量子系へ転送する技術です。
量子テレポーテーションを利用して、光速を超えて任意の情報を伝達することはできません。
また、量子ネットワーク、分散量子コンピューティング、衛星量子通信などには、現在も研究・開発段階にある技術が多く含まれています。
記事中で扱った実験結果が、そのまま大規模な商用システムとしての実用化を意味するものではありません。
人間のテレポーテーション、地球規模の分散量子コンピュータ、将来の社会構造などについて述べた部分には、現在確認されている研究事実とは区別した編集部の考察・未来仮説が含まれています。
将来の技術性能、実用化時期、普及規模を保証するものではありません。
巻末特典
自分のPCで量子テレポーテーションを再現してみた
ここまで「量子テレポーテーション」の仕組みを見てきました。
では、本当に量子回路を組んで動かすと、どうなるのでしょうか。
今回はヤバりみ!編集部で、量子テレポーテーションの標準的な回路をPC上に構築し、実際にシミュレーションを行いました。
実験ID:YQL-TELEPORT-001
実行日時(UTC):2026-08-11T12:15:44
環境:Windows 11 / Python 3.12.10 / Qiskit 2.5.1 / qiskit-aer 0.17.2
seed:20260811
最初に、誤解のないよう明記しておきます。
今回転送したもの:
1量子ビットの状態
今回転送していないもの:
粒子そのもの、原子、物質、人間、意識
今回行ったのは、PC上での量子回路シミュレーションです。実量子コンピュータを使用した実験ではありません。
また、量子もつれだけで処理が完結するわけではありません。Aliceの測定結果をBobへ伝える古典通信が必要です。
1. 今回何を実験したのか
今回の目的は、未知の1量子ビット状態 |ψ⟩ を、量子テレポーテーションの標準的な手順によって別の量子ビットへ移せるか確認することです。
登場する量子ビットは3つです。
q0:
Aliceが転送したい量子状態
q1:
Alice側のBell Pair用量子ビット
q2:
Bob側のBell Pair用量子ビット
まずq1とq2の間にBell Pair(量子もつれを持つ量子ビット対)を作ります。
次にAliceがq0とq1に対してBell測定を行います。
その測定結果として得られる古典2bitをBobへ伝え、Bobは結果に応じてq2へX/Z補正を加えます。
ここが重要です。
量子もつれだけでは、量子テレポーテーションは完了しません。AliceからBobへ測定結果を伝える古典通信が必要です。
また、Alice側の未知状態をそのまま残しながらBob側にも同じ状態を作る処理ではありません。
Alice側の元の状態は測定によってそのまま維持されず、未知状態を2つに増やすクローンではありません。
2. 実験環境
今回使用した環境はこちらです。
- OS:Windows 11
- Python:3.12.10
- Qiskit:2.5.1
- qiskit-aer:0.17.2
- シミュレーター:AerSimulator
- seed:20260811
- クラウド量子実機:使用なし
- APIキー:不要
- 課金:なし
再現コマンド:
python run_experiment.py
seedとは、ランダム処理を同じ条件で再現するための値です。
今回は20260811に固定しています。結果を見た後で都合のよい試行だけを選んだものではありません。
3. 量子回路
使用したのは、標準的な1量子ビット量子テレポーテーション回路です。
流れを単純化すると、
入力状態 |ψ⟩
↓
Bell Pair生成
↓
AliceによるBell測定
↓
古典2bitをBobへ伝達
↓
BobによるX/Z補正
↓
Bob側で状態を復元
となります。
この回路で重要なのは、「量子経路だけ」では成立しないことです。

Bell Pairという量子的な資源と、AliceからBobへ測定結果を伝える古典通信の両方が必要になります。

キャプション:
PC上のシミュレーションで使用した標準的な量子テレポーテーション回路。Bell Pair、Aliceの測定、古典2bit、Bobの補正という流れを示しています。
4. 入力した量子状態
最初に、性質の異なる5種類の状態を固定してテストしました。
A:|0⟩
B:|1⟩
C:|+⟩
D:|-⟩
E:( |0⟩ + i|1⟩ ) / √2
|+⟩や|-⟩は「重ね合わせ」を含む状態です。
最後の状態には複素位相も含まれています。
さらに、あらかじめ固定したseedを使用してBloch球上からランダムな純粋1量子ビット状態を100個生成し、同じテレポーテーション回路を実行しました。
特定の都合のよい状態だけで動くのではなく、さまざまな量子状態について確認するためです。

キャプション:
|+⟩状態について、入力側とBob側の理想シミュレーション結果をfidelityで比較した図です。
5. 実行方法
環境構築後、次のコマンドで実行しました。
python -m pip install -r requirements.txt
python run_experiment.py
評価方法は、大きく2種類に分けました。
一つ目は、状態ベクトルを用いる理想条件での検証です。
これはノイズのないシミュレーション上で、入力状態とBob側に得られた状態を直接比較する方法です。
二つ目はshotsによる統計的な検証です。
今回はX・Y・Zの各基底について10,000 shotsを実行するトモグラフィを使用しました。
トモグラフィとは、異なる方向から測定を繰り返して量子状態を推定する方法です。
Z基底だけを測定して、任意の量子状態を正しく復元できたと判断する方法は採用していません。
6. 実際の結果
まず固定した5状態を、理想条件でテストしました。
|0⟩
|1⟩
|+⟩
|-⟩
(|0⟩+i|1⟩)/√2
この5状態について、理想シミュレーションで得られたfidelityは、いずれも約1.0でした。
さらに、X/Y/Z各基底10,000 shotsによるトモグラフィでは、固定5状態のfidelityは約0.999984でした。
PC上の今回のシミュレーション条件では、標準量子テレポーテーション回路が想定どおり機能していることを確認できました。
ただし、この数字を実量子コンピュータの性能と混同してはいけません。
今回の結果はローカルシミュレーションの結果です。
7. fidelityとは何か
fidelity(フィデリティ)とは、簡単に言えば、
「目標とする量子状態と、得られた量子状態がどれだけ一致しているか」
を見る指標です。
今回の固定5状態では、
理想シミュレーション:
fidelity ≈ 1.0
shots XYZ tomography:
fidelity ≈ 0.999984
となりました。
1に近いほど、今回比較している状態同士の一致度が高いことを意味します。
ただし、「fidelityが1に近かった=現実世界の量子通信が完全」という意味ではありません。
あくまで今回設定したPC上の回路と条件における結果です。
8. ランダム100状態テスト
次に、Bloch球からランダムに生成した100個の純粋状態について同じ処理を実行しました。
seedは20260811で固定しています。
理想条件での結果は、
平均:1.0
中央値:約1.0
最小:約1.0
最大:約1.0
標準偏差:約3.3e-16
でした。
特定の5状態だけではなく、ランダムに生成した100状態についても、理想シミュレーションでは入力状態とBob側の状態がほぼ完全に一致しました。
標準偏差約3.3e-16という非常に小さな差は、このシミュレーションにおける数値計算精度の範囲です。

キャプション:
seed 20260811で生成したランダム100個の1量子ビット純粋状態について、理想シミュレーションで得られたfidelityの分布です。
9. ノイズを入れるとどうなったか
ここから条件を変えます。
現実の量子系では、理想的な量子回路だけを考えることはできません。
ゲート操作の誤差や読み出し誤差など、さまざまなノイズが入ります。
そこで30状態を対象に、ノイズを5段階に変化させました。
| 条件 | p1 | p2 | pread | 平均fidelity | 最小fidelity |
|---|---|---|---|---|---|
| 0 | 0 | 0 | 0 | 0.9999 | 0.9978 |
| very_low | 1e-4 | 5e-4 | 1e-3 | 0.9971 | 0.9886 |
| low | 5e-4 | 2e-3 | 5e-3 | 0.9862 | 0.9755 |
| medium | 2e-3 | 1e-2 | 2e-2 | 0.9394 | 0.9314 |
| high | 1e-2 | 5e-2 | 5e-2 | 0.8470 | 0.8200 |
ノイズを強くするにつれて、fidelityが下がりました。
さらにstrength=0.01、n=20で単一ノイズを比較すると、
depolarizing:平均0.954
amplitude_damping:平均0.981
phase_damping:平均0.991
となりました。
depolarizingは状態をランダム化する方向のノイズ、amplitude dampingは励起状態が失われるような過程、phase dampingは位相情報が失われていく過程をモデル化したものです。
今回の条件では、ノイズの種類によっても状態再現への影響が異なりました。

キャプション:
PC上のノイズシミュレーションで、ノイズを強くするにつれて量子状態のfidelityが低下する様子を比較しています。
10. 古典通信を切るとどうなったか
今回、特に確認したかった実験です。
通常の量子テレポーテーションでは、
Bell Pair
+
Aliceの測定
+
古典2bit
+
Bobの補正
を使用します。
では、BobがAliceの測定結果に基づく補正を行わなかったらどうなるのでしょうか。
結果は、
full:
平均fidelity 1.0
no_correction:
平均fidelity 約0.50
でした。
Bobが正しい状態を復元するには、Alice側で得られた古典2bitの情報に基づいて補正する必要があります。
この比較からも、今回の量子テレポーテーション回路は「量子もつれだけで完結する通信」ではないことが分かります。
古典通信が必要です。

キャプション:
古典2bitに基づくBob側の補正を行った場合と行わなかった場合を比較し、古典通信が必要であることを示したシミュレーション結果です。
11. Bell Pairをなくすとどうなったか
もう一つ、重要な条件を外してみました。
AliceとBobが共有するBell Pairです。
通常条件では、
full:
平均fidelity 1.0
Bell Pairを正しく用意しないno_bell条件では、
平均fidelity 約0.461
となりました。
つまり今回の回路では、
Bell Pairという量子的な資源と、
Aliceの測定結果を伝える古典通信、
そしてBob側の補正、
これらを組み合わせることが重要でした。
どれか一つだけを取り出して、「これがテレポーテーションの正体」と考えると仕組みを見誤ります。

キャプション:
Bell Pairを正しく用意した条件と用意しない条件を比較し、共有エンタングルメントが量子テレポーテーションに必要であることを示したシミュレーション結果です。
12. 分かったこと
今回のPCシミュレーションから確認できたことを整理します。
第一に、標準的な量子テレポーテーション回路を理想条件で実行すると、今回テストした固定5状態とランダム100状態について、入力した1量子ビットの状態をBob側で非常に高いfidelityで再現できました。
第二に、ノイズを増やすとfidelityは低下しました。
今回のノイズ梯子では、平均fidelityが0.9999から、最も強い設定では0.8470まで低下しています。
第三に、Aliceから得られる古典2bitに基づくBobの補正を外すと、平均fidelityは約0.50まで低下しました。
第四に、Bell Pairを正しく準備しない条件では、平均fidelityは約0.461でした。
つまり今回再現した量子テレポーテーションは、
量子もつれだけ、
古典通信だけ、
あるいは単純な状態コピー、
のどれでもありません。
量子的な資源と古典通信を組み合わせたプロトコルです。
13. この実験で証明していないこと
今回の結果から言える範囲は、明確に限定しておきます。
今回確認したのは、
「PC上の量子回路シミュレーションにおいて、標準的な1量子ビット量子テレポーテーション回路が設定した条件どおりに動作した」
ということです。
今回の実験では、
粒子そのものを別の場所へ送っていません。
原子や物質を転送していません。
人間や意識を転送していません。
実量子コンピュータも使用していません。
また、古典通信が必要なので、量子もつれだけを使って任意の情報を光速より速く相手へ伝える仕組みでもありません。
今回の結果を、現実の長距離量子ネットワークや実量子ハードウェアで同じ性能が得られる証拠として扱うこともできません。
14. 再現方法
今回の実験は、同じ環境を用意すればPC上で再実行できる構成にしています。
環境:
Windows 11
Python 3.12.10
Qiskit 2.5.1
qiskit-aer 0.17.2
seed:
20260811
依存関係をインストール:
python -m pip install -r requirements.txt
実験実行:
python run_experiment.py
今回使用したのはローカルシミュレーターなので、クラウド量子コンピュータ用のAPIキーは必要ありません。
15. 次回実験
今回確認したのは、PC上のシミュレーションでした。
次に確かめたいのは、
「同じ量子テレポーテーション回路を、本物の量子コンピュータで動かしたらどうなるのか」
です。
理想シミュレーションでは、固定5状態のfidelityは約1.0。
ノイズを人工的に加えると、条件によって値は明確に低下しました。
では、実際の量子プロセッサではどうなるのでしょうか。
同じ回路。
同じ入力状態。
同じ評価方法。
それを実量子ハードウェアへ持っていけば、
理想シミュレーター
↓
ノイズシミュレーター
↓
実量子コンピュータ
という3段階を比較できます。
ただし、これは今回まだ実施していません。
実機で実行した場合には、使用した量子コンピュータ、backend、shots、実行日時、job ID、測定結果を保存し、シミュレーションとは明確に区別して掲載します。
「理論上は動く」から「PC上では動いた」へ。
そして次は、
「現実の量子ハードウェアでは、どこまで同じ結果になるのか」。
ヤバりみ!未来展望では、そこも実際のデータで確かめていきます。


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